投資の流儀  ストーリー


sea_harbor_44296884他人の意見や情報に振り回されてはいけません。

投資で今までと “違う結果” を得たいなら、
“投資行動” そのものを変えなければなりません

大切な、“何か”を守るために “自立”した投資家になる。

それが、私たちが目指す “投資の流儀”です。

 



職業:個人投資家再生請負人

1964年生まれ
大阪市在住

・身長/ 177cm
・体重/ 76㎏
・血液型/ O型

≪趣味≫
愛犬との格闘、散歩

≪座右の銘≫
「人が喜ぶことをしろ! 人が幸せになることをやれ!」
(弊社顧問弁護士のことば)

「ニッポン人投資家が強くなれば、ニッポン経済は必ず復活する!」を
コンセプトに、一人の個人投資家として、25年以上、相場の第一線で
活動経験を生かし、金融機関、投資顧問会社にボロボロにされた、
個人投資家を再生するため活動中。

投資顧問会社や、銀行、証券会社にゴミ扱いされ、大損させられたた
個人投資家を再生させ、他人の意見や情報に踊らされることなく、
自らの判断で投資収益を上げる個人投資家に育て上げること、
そして、育成した投資家と、生涯の仲間として、真に幸福な人生を
生きることが、私のライフワークです。

“個人投資家再生請負人”として
現在、800名を超える受講生(2013年1月現在)を抱え、
マンツーマンでの売買指導も行い、すでに1億円以上の
利益を得た受講生や、たった3か月弱で2000万円以上、
3日で400万円以上の売買益を得た受講生などを排出している。

紫垣英昭の略歴はこちら

◆「こんな仕事やってられるか!」

私は、13年間の証券マン生活に終止符を打ちました。

個人営業、金融法人営業、自己売買部門と、証券会社での主な業務を
ひと通り経験させていただきましたが、予算を達成させるため、
バブル崩壊後の下落相場で“ナンピン買い”を勧め、
おかしな投資信託を顧客に嵌め込む証券会社の“手数料至上主義”に
ほとほと嫌気が差し、13年間、勤めた証券会社を退職。

しかし、恐ろしいことに、会社を辞めたのは良かったのですが、
次の仕事がまったく決まっていませんでした。

親からは「お前、どうやってメシ喰っていくのか?」という
問いに、満足に答えることもできない・・・

“超大バカ野郎”でした。

ただ、証券会社に入社した時点で、いつかは独立して
自分でビジネスをやりたいという野心はもっていたので、
これをきっかけに、数百万の退職金を元手に
独立して、ビジネスを興すことを決心しました。

ちょうど証券会社を退社した1998年は、橋本内閣で、
金融制度改革法が施行され、大規模な金融自由化が始まった年でした。

いわゆる“金融ビッグバン”です。

この頃から、個人がインターネットを使って株式取引が
できるようになりました。

これまで金融機関が独占していた、リアルタイムの情報や、
板情報が、個人投資家に解放されたのです。

その状況を見たとき、体中に鳥肌が立ったことを
今でもよく覚えています。

◆それを見た私は思わず
「これだ!」と叫びました。

インターネットを使って、個人投資家向けに株式取引の
情報提供業務を思いついたのです。

これまで、さんざん顧客に迷惑をかけてきましたが、
これで“罪滅ぼし”ができる!と、考えたのです。

そして事業計画の作成に着手しました。

しかし、退職金の数百万では、そもそも創業の資金としては、
足りないと考えた私は、事業計画書を携え、親戚や友人、知人を
巻き込み、合計1千万円の資金調達に成功。

そして、当時良くしていただいた、不動産鑑定士の先生と
共同で、大阪の本町に事務所を借り、業務を始めます。

目的は、“個人投資家の目線に立ったサービス作り”です。

そこで当時としては初めて、銘柄情報をインターネットを使った
無料での“リアルタイム配信”を行いました。

同時にマスメディア戦略も同時に行います。

証券業界紙に毎週、コラムを執筆し、プロ向けのデリバティブ専門誌に
1年間、執筆活動を行いました。

さらに2冊の書籍を出版し、オールアバウトの専門家ガイドも
行いました。

これが大当たりし、インターネット配信業務では、
大きな利益を得ることに成功しました。

さらに資本金を株式で運用を行い、1年で・・・

◆1億3000万円以上の利益

を得ることに成功したのです。

また行政機関の仕事もさせていただきました。

2004年から半年間、大阪府知事より、中小企業金融制度施策
「金融新戦略検討委員会」の委員要請があり就任。(金第1111号)

大学教授などの有識者、政府系金融機関、民間大手金融機関などで
構成される親委員会の一員として、制度融資の改革に取り組みました。

パートナーの不動産鑑定士の先生と共同で、土壌汚染地の流動化業務に
着手し、「中小企業経営革新支援法」第四条第三項の既定により承認
(大阪府指令商振第1019-238号)を受けました。

当時として、飛ぶ鳥を落とす勢いだったわけですが、
“悪魔の手”は、確実に私の近づいてきていたのです。

◆「俺、死ぬしかないか・・・」

順風満帆だと思えた会社経営は、
あっという間に“破綻”してしまったのです。

個人向け金融情報サービス業務が大変、忙しくなってきたため、
会社の運用資金の大半を、某投資会社に運用を委託したのです。

しかし・・・

ライブドア・ショックが起こった直後から運用状況が
大きく悪化してきたので